憲法9条を守って、世界平和を

「9条の会ごか」ニュース

2016年11月17日 10:20

"田中正造の足跡をたずねる" ツアー

 明治中期に古河財閥が経営する足尾銅山から排出された鉱毒のため、洪水のたびに渡良瀬川

の流域の村々では、作物が枯れ、豊富な魚介類が死滅するという被害が出ていた。被害民が大規

模な抗議行動を起こした川俣事件、田中正造の天皇直訴事件等で、国会でも大きな問題になった。

 明治政府は鉱毒事件の解決のため、毒の水をためる調節池(渡良瀬遊水地)の建設を行うことを

計画した。谷中村では村ぐるみで「住民の強制立ち退き」に反対したが、藤岡町に合併され消滅した。

 現在、「谷中村遺跡を守る会」が、日本における公害問題の発祥地及び警鐘発信地としての「旧谷

中村遺跡」の保存と田中正造翁精神の啓蒙普及に努めている。

 当会では、"田中正造の足跡をたずねる" ツアーを下記の日程で実施致します。みなさん奮ってご

参加ください。

 

<注> 田中正造(1841-1913)

 明治の政治家、栃木県出身、栃木新聞を発刊し、自由民権運動に参加。第一回から衆議院議員

に連続6回当選、足尾鉱毒事件では被害住民のため奔走。1901年には天皇に直訴、谷中村の遊

水地化に抵抗する等、終生、利根川・渡良瀬川水系の治水問題に献身した。

 

 日   時   12月3日(土)   8:45~16:00

 案   内   奈良達雄さん  「田中正造を現代に活かす会」代表世話人

 集合場所   田中正造顕彰碑 古河市雀神社(古河市宮前町四丁目52番)脇の堤防上

 集合時間   午前 8:45   解 散 16:00 雲龍寺(館林市)

     ※五霞からは、ウェルシア前を車乗合で、午前 8:00に出発します。

       参加のご連絡は、青木(84-1156)、高橋(84-0882)迄

 

「ヒバクシャ国際署名」 国連へ218筆提出

 ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名は、218筆寄せて頂きました。10月3日

から始まる国連総会第一委員会の議長らに、9月末までに集めた国際署名(目録)を提出しました。

国連総会第1委員会は10月27日、決議案を採択、核兵器を禁止する法的措置をめぐり、来年にかけ

て国連で本格的な議論にのぼります。引続き、みなさんのご協力をお願いします。同封の署名用紙を

ご活用ください。

 

"世界平和を願う鐘つき"と"憲法学習会"に35名集う 

 先の9月9日に"世界平和を願う鐘つき"では憲法前文と第九条を朗読、参加者全員による鐘つき。

"憲法学習会" では「自民党の憲法改正草案を考える」のテーマで奈良達雄さんの講演を受けました。

境町、古河市、坂東市、幸手市からの参加もあり35名が集いました。

≪寄せられた感想から≫

 ・自民党案と現行憲法を対比しての説明は、具体的で極めて理解しやすかった。改悪草案の恐ろし

  さを改めて感じることになった。

 ・9月9日は、平和を願う気持ちを皆さんと確認する機会にしています。奈良先生のお話は解りやすく、

  胸に落ちました、日々行動に移すように努めます。

 ・対比して話してくださったので、理解が深まりました。これからは、自民党を支えている「日本会議」

  の実態についてお話して頂きたいと思います。

 ・奈良先生の高度の眼識によって私達の良識を刺激することが極めて大きかった。現憲法は国民に

  定着している、大きな誇りと共に人類の理想と高く評価されている事を改めて認識したい。

  「立憲主義」と市民の力こそ肝要と思う。

 ・大変よい学習会だった。安倍政権の暴走は絶対止めなければなりません。

 

 五霞町の戦没者255人を考える

 中国への侵略に始まる15年戦争の犠牲者は310万人、わが五霞町では255人と記録されています。

戦後71年を経、戦争を知らない世代は大多数です。それだけに、戦争の歴史を語り継がなければなり

ません。五霞町の戦没者の実態について、遺族者名簿等をもとに整理しました。(文責・青木)

 戦没地:中国36人、フィリピン40人、中部太平洋33人、西南太平洋46人、ビルマ・インド44人、その

      他アジア太平洋全域に及んでいる。内地での戦没は19人。

 戦没の時期:昭和19年の犠牲者は21人、終戦の20年は84人で、戦争末期に大多数が犠牲に。

 戦死者の年齢:10歳代4人、20歳代186人、30歳代57人、40歳代2人。未来ある若い命を戦場に

           散らした。

 どんな死に方をしたのか:戦闘による戦死なのか、飢餓地獄で飢え死にしたのか、記録にはない。

                 本町で36人の死者を出したニューギニアでは、死者数10万人中、9万人が

                 餓死であったという記録がある。降伏が認められない日本軍隊では、戦況が

                 悪化すれば餓死するか、玉砕する以外に選ぶ道はなかった。遺骨はどれだ

                 け帰国したかは不明、ほとんどは「白木の箱」だけで、遺骨は肉親の元へは

                 帰らなかったのではないか。

 

9条の会ごかニュース8号.pdf (384,5 kB)

 

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